『地球語としての英語』 (みすず書房) D. クリスタル著 國広正雄訳
ISBN4-622-03381 \2500
10数年勤めていた総合選択制の高校では,毎年入学試験に受かったばかりの新入生を体育館に集めて選択科目の説明会を開いている。舞台の上でフランス語の先生はシャンソンを歌って聞かせた。ドイツ語の先生は,在校生を使ってクイズショウをおこなった。中国語の先生と生徒は簡単な中国語劇を行なった。どの先生もその言語学習の魅力を熱く語った。そして思いは共通だった。「選択外国語としてその言語を選択してほしい」。一方英語の先生は工夫もせずに,主な講座の説明をしただけだった。中国語の先生に言われた。「英語の先生は楽だ。何もしなくても生徒が選択してくれる。われわれが英語と同じことをやっていたら,選択者はゼロになり,この学校から中国語の講座は消えて行く」。その学校では英語以外の外国語を教える専任の先生は,確かに努力をしていた。入学時に一定程度の選択者を集め,その中からその言語で大学入試を突破できる学力をつける課外補習をしていた。その言語の講座の維持に努めるエネルギーは大変なものだったろう。「そうしないと,英語を除く外国語は添えもののようなもので,ほとんどその言語を使う能力を持つ前に学習を止めてしまう状態になる」とある先生は自分の前任校での経験を話してくれた。このような先生を見ていたから,ぼくは学校で英語以外の外国語を教える場合の経済性を考えてしまう。英語教師が日々の糧を得られるのも,英語が強い言語であるおかげである。本書でも他の外国語に対する英語の強さを次のように裏付けている。「翻訳や事務的な仕事に要する経費を削減するためにも,国際機関での使用言語の数を減らすべきだというのが広範囲な見解である。現に国際機関の予算の半分が翻訳関連コストに呑み込まれるのは容易である(19-20」)。つまり,国際機関でも経済性の問題から使用言語を多言語から英語だけに絞ろうとしている。
このような状況を受けて,「英語を地球語にしてはならない」という意見をよく聞く。英語教師であるから英語の隆盛は歓迎すべきのだろうけど,英語母語話者が生まれつき圧倒的に有利な状況を考えるとなんか腑に落ちない気分でもある。そういう思いを含めて,ここでは,この本を紹介しながら「地球語」について考えてみたい。
まず,われわれが「地球語」とか「国際語」と普段気軽に用いているが,その定義はなんだろうか,まず考えてみる。母語話者全体の数でいえば中国語が多いはずだ。本書は言う。「地球言語としての地位を得るには,その言語が世界の各地の非母語国で取り上げられていることが肝要である(10)」。ああ,そうか。中国語は,ほとんどが母語国で使われているわけだ。それに対して母語として,公用語として,それに外国語としての合計では,英語は他のどの言語より多数の話者によって話されているのだ。それ以外の「地球語」の要因として,本書はいろいろあげているがとくに英語が85%以上の国際機関の公用語および作業語として使われている(109)こと,世会の郵便の4分の3が英語で書かれている(145)ことなどが大きなものであろう。
人々はなぜ「地球語」を作るのか。「数多い言語が混在している地域社会は,伝統的に共通語をきめるということで解決を計ってきた(18)」からだと,本書は説明している。世界中とコンタクトがとれるようになった現代社会では,「地球語」ができると,なにかとプラスの点は多いだろう。 しかし,ある言語が,「地球語」になることに危険はないのか。それについて本書は「地球言語は自己満足的で他言語に対して否定的な考えを持つ,単一言語のエリート集団の誕生を助長しうる。そのような地球言語を押さえている人々はその言葉で考え仕事をしていくことが容易なままに,自己の利益をはかるべく策動し,そうでない人を犠牲にし,言語の袖に隠れて富者と貧者との乖離を固定化しようと努めるだろう。」(22-23)と述べている。このような事態が現実にあることは想像に難くない。われわれはどのように対処できるのか。
本書の解答は次の説が該当するだろう。「地球言語の教育が学校教育の十分初期にスタートし,それが引き続き維持されちゃんと手当てされる限り,そこに登場してくるはずの言語能力は,本物で強力なニ言語主義であり,うまれた時から母語として身につけた話者のもつそれと,全く区別がつかない態のものである。...もし外国語習得の問題を真剣に考えようと思うなら,「早ければ早いほど可」原則が存在せねばならないとする見解については,広範な合意が存在する」。つまり,早期外国語教育のすすめである。続けて本書は言う「地球上の子供の3分の2ほどは二言語環境で大きくなり,二言語への能力を育てていく。定期的にさらされつづける限り,子供が母語以外の言葉を身につけていく過程にはある種の自然さが伴っており...」。この本を読む前は,世界の多くの子供は一言語環境で生育されるものと信じていたので,3分の2が二言語環境で育つと知って驚いた。さらに本書はまとめとして「外国語習得を真剣に考えるこういった姿勢が地球言語の習得に当てはめられる限り,かの言語エリート論は消えうせてしまう(25)」。つまり,地球上の子供の3分の2ほどはバイリンガルな環境で生育する。したがって,きちんとした早期外国語教育を行えば,子供はバイリンガルに育つので,生まれつきの言語エリートは,そんなに有利性を持たなくなるというのだ。多くの子供たちが早期外国語教育でバイリンガルになっていく現状があり,我々が地球語の成立を止められないなら,適切な早期外国語教育を始めることに賛成せざるを得ないだろう。
最後に,英語がどうしてそのような地位を占めるようになったのだろうか。本書はいう。「ある言語が国際的成功を収める事由についての俗論:「ある言語は美的な資質を本質的に備えている」,「論理性が高い」,「文法がやさしい」等は,いずれも明確な根拠を持たない。なぜならラテン語は屈折変化と性の区別がたくさんああるが,何世紀にもわたって国際語だった。また,難しそうに見える文法も関係ない。どの言語でも子供はほぼ同じ年齢でその言語を習得する。では,何が「地球語」の要因かというと,以前は軍事力,現在はそれに経済力である(13-17)」。確かにそうだ。あのアメリカの圧倒的な軍事力と経済力で英語が「地球語」になるのはうなずける。アメリカの経済力に陰りが見えても,英語のその地位は今後も続くのだろうか,という疑問が当然わく。本書はそれには答えず,英語の未来としては,今後世界各国でいろいろな新生英語がでてきて,お互いの差を深めていくかもしれないが,共通語として,アメリカ英語に影響された「世界標準口頭英語World Standard Spoken English」が台頭してくるだろう(188-189)と予測している。
著者が『ケンブリッジ英語百科事典』の編者なので,他に英語の歴史や文化面についての言及が豊富だ。英語と自分の関わりを考える意味で参考になる本だ。