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フィリピン独立運動と中国革命運動を支援した政治家・中村彌六に関する未公開史料を整理・公開し、中村の思想と行動を歴史学的に検証するNakamura Yaroku Research Group

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中村彌六(18551929年)は、信州高遠藩藩儒の家に生まれ、ドイツ留学し、1890年国会開設を機に衆議院議員に立候補する。中村は長野六区から出馬し当選、衆議院議員となり、第一次大隈内閣では司法次官となったが、1899年に起きた布引丸事件、翌年の恵州蜂起に関係し、革命資金を横領したとして憲政本党を除名された。これにより中村は「政治生命が絶たれた」(小野川秀美)と論断されてきたが、中村は1902年第七回総選挙でも当選、1909年総選挙では当選した後、中央倶楽部の組織の際には幹事を務めている。1917年年第一三回総選挙ではじめて落選し、ここに彼は衆議院代議士生活にピリオドを打った。なお、1911年に辛亥革命が勃発すると『三十三年の夢』において中村を糾弾した宮崎滔天とともに革命に参画するために中国へ渡っている。

 上記の諸事件について、私たち中村彌六研究会(20174月設立)の調査により、中村の郷里である伊那市高遠町に「中村の回想録『布引丸事件秘録』」をはじめ多数の関係史料が残されていることが判明した。布引丸事件に関しては既に若干の研究が存在するが、主として日米関係・日比関係に重点が置かれ、中村彌六の思想や行動を一次史料により歴史学的に検証した専論はない。そこで私たちは、19世紀末20世紀初頭における近代アジアの政治変動と長野県の一地方である伊那市高遠町を拠点とした政治的パワーとの交錯・統合を目指す「グローカル」な視座から中村彌六のアジア革命運動への支援がどのようなものであったかを歴史的に問い直そうとしている。

お知らせtopics

本研究会の研究プロジェクトは科学研究費助成事業の助成を受けることになっています。(その詳細



関連資料のデータベース」は開きました。これからは続々と充実していきます。

新着情報news

2022年10月30日
シンポジウム「甦る中村弥六 布引丸事件」が長野県高遠町で開催します。
2021年4月19日
「令和3年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)交付申請書」が交付されました。
2022年3月29日
サイト「中村弥六研究会」をオープンしました。

中村弥六研究会

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東京都千代田区九段南4-8-28
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